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コレクション展25年度3回目

ページID:0001079印刷用ページを表示する2017年10月19日更新

過去のコレクション展一覧

H25久万美コレクション展3


三坂道路開通1周年記念・洲之内徹生誕100年記念企画第2弾

米山蒐集と洲之内徹-山本發次郎の松山滞在譚

米山蒐集と洲之内徹の画像1米山蒐集と洲之内徹の画像2

趣旨

豪壮な書風でしられ、近年、愛媛県内において再評価が高まっている書家・三輪田米山(1821-1908)。伊予松山の日尾八幡神社の神主でありながら、王羲之を初めとする書の古典に学び、独自の書風を確立、時に泥酔しながら揮毫した書は、型破りな造形美を生み出しました。

米山の書に高い芸術性を発見したのは、大阪の実業家・山本發次郎(1887-1951)です。画家・佐伯祐三を発掘したことでも知られる大コレクターである山本は、佐伯や米山の他、白隠、寂厳、慈雲、良寛、明月ら江戸時代の高僧の書を多数所蔵しました。佐伯祐三の油彩をはじめ、それらの墨蹟は大阪市に寄贈されました。

山本は、戦前に佐伯祐三の油彩、白隠ら僧侶の書に目覚め、すでに米山の書も60~70点所蔵していました。しかし、戦災によりそれらの大半は焼失。1950年11月、米山書の蒐集のために松山の正宗寺に滞在(のちふなや旅館)、3カ月にわたって市内の所蔵家を訪ね、また地元の有力者の協力を得て「三輪田米山顕彰会」を立ち上げます。さらに、松山の地が気に入った山本は自身のコレクションを中心とした美術館建設を松山市長に提言しています。

山本は米山を「学識の深遠さ、心境の幽玄さと風格の崇高さにおいて、はるかに慈雲に、また、その芸術の独創性と個性の強烈、虚実リズムの交奏において遠く寂厳に、独りまたその稚拙と枯淡と詩境において良寛に、その師承の最もはるかに大古にして本格的たると、その表現のさらに奔放自在超脱無礙たると、およびその運筆のひときわ豪放闊達、変幻極まりなきなどにおいて(中略)一躍右四人者を越えて、第一位に推す」と、近世の能書家らを引き合いに出し、独善的とさえいえる程の熱意で米山の魅力を説明します。そんな米山が知られていないことに対し、義憤に近い思いに駆られるのです。

山本が松山に滞在した3ヶ月、山本は当時、松山で小説を書いていた洲之内徹(1913-1987)に米山調査の同行を求めています。洲之内が愛媛新聞に書いた展覧会評を気に入った山本は、書はわからないという洲之内を連れ出し、所蔵家の家を巡りました。米山自体にはあまり興味がなかった洲之内でしたが、「蒐集家と批評家、あるいは目利きと批評家とでは絵に見方がちがう。女に惚れた男が、その女の、人には見えないほんとうのよさを見付けるようなものだ。だから佐伯の場合は別として、埋もれた異才、時代が見逃していた才能を発見するのは、いつも批評家ではなく、目利きのほうである」と、コレクターとしての山本に敬意を抱きました。

本展は、洲之内徹生誕100年企画の第3弾として、あまり知られていない山本を通じた米山と洲之内の関わり、松山の幻の美術館について、当館所蔵の米山作品と当時の資料とともに紹介するものです。

その他の展示

洋画では、日本の近代洋画を代表する高橋由一や黒田清輝、岸田劉生らの作品、さらに大正・昭和初期の前衛画家・村山槐多や萬鉄五郎らの作品を展示します。また、伊予の書画や砥部焼を中心とした古い伊予のやきものを展示します。

会期

2013年11月30日(土曜日)~2014年1月5日(日曜日)