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藤岡弘、氏スペシャルインタビュー

印刷用ページを表示する掲載日:2018年1月23日更新

俳優・武道家 藤岡弘、

俳優・武道家である藤岡弘さんに、移住という決断と故郷について語っていただきました。

藤岡弘、氏インタビュー画像

 

お接待、日本の心、書道画像(書・藤岡弘、)

人の心を支える土壌

 私の本名、藤岡邦弘(くにひろ)の「弘(ひろ)」の字は、弘法大師の「弘(こう)」から父と母が名付けました。「くにひろ」には、国を広めていくという意義があります。国の未来に対する憂いと弘法大師の偉業を託した、私に対する親の思いなんです。そんな私は、父の仕事の関係で明神(みょうじん)村の駐在所で生まれました。だから、もともと久万高原が先祖ではないのです。しかし、母は村の人たちと同じように巡礼者を労わり、思いやり、もてなしていました。その光景は、私の中に今も焼き付いています。母は、いつも欠かさずにお米やお芋、トウモロコシや季節のものなどをお接待として備え置いていました。庭の裏の柿の実もお接待に使いましたが、父は「上の柿は鳥さんが食べる。下の柿は動物さんが、落ちた柿は虫さんが食べる。真ん中の柿をとりなさい」と言って、みんな一緒に生きているということを教えてくれました。「二つとって、良い方をあげるんだよ」と言われて、私は良くて大きい方を「はい」とお遍路さんに渡していました。そういう風に育てられたんです。ここには、人の心を育てる、心が育つ土壌がありました。ある時、朝起きて学校に行こうとすると玄関に野菜が置いてあったりもします。母は村の娘さん達に、お花やお茶や裁縫等のしつけを教えていて、柔道師範だった父は、青少年に柔道や相撲等の武道を教えていましたので、そういった父と母に感謝して、自分達で採れた野菜を玄関に置いてくれる。誰が置いたか分からない、だけど父や母は野菜を見れば誰さんのネギだと分かるんですね。私は、そんな環境の中で育ちました。

弘法大師が受けた感動

 久万高原町には、四十四番札所、大宝寺があります。私は幼少期に、ここでよく遊んでいました。寺の名は、大きな宝の寺と書きますが、なぜ弘法大師はこの名前を付けたのか。それは、ここで一番の宝をあげたいほどのもてなしを受けたからです。苦難の遍路で大変だったときに、この地で機(はた)を織っていた、「くま」という女性に助けてもらったのです。くまから苦労して織った布をもらった弘法大師は感動し、「何かしてあげられることはないか」と聞くと、「ここは非常に貧しい村です。何も差し上げられないぐらい貧しいこの村の人たちが豊かになりますように」と答えたので、弘法大師は「では、大きな宝をあげよう」と言った伝承が大宝寺の名の由来です。だから、大きな宝をもらったと思うぐらいの恵みが、ここにはあったのです。もしかしたら、私がこうして久万高原を紹介していることも、そこからつながる運命なのかもしれません。

変化していく世界と、差し迫る問題

 私は全国の県を歩き、世界も100カ国以上旅をしました。外から私の故郷、愛媛県久万高原町を見ると、いろんなものが見えてきます。ここは、自然が豊富で、観光資源に恵まれています。故郷の文化や伝統には素晴らしいものがあり、地元にいれば不自由なく、ゆったり生きて行けるのかもしれません。しかし、世界は急速に変化しており、いろいろな問題が差し迫っています。机上の理論だけで、これからの時代に切り込めるわけがない。私は、この国や故郷の未来を憂いています。今抱えている問題は、誰のせいでもない、私たち一人一人の心構え、心の持ちかたで、起こるべくして起きている。そういった情勢をキャッチし、あらゆる面の情報を収集し、分析・整理して、郷土の未来に対して何をすべきなのか。みんなで一つになって考え、行動しなければなりません。
 私は芸能界で53年間戦ってきました。今も最前線で戦っていますが、常に危機意識を持ち、自分の存在意義や存在価値、存在目的を問い続けています。趣味悠々で後は余生なんて、そんな気持ちはありません。何が起きてもおかしくないこの時代、これから国を背負っていく若者たちに、未来や夢や希望をどんなメッセージで発信したらよいのか。どうしたら自分の子孫たちに安息できるような未来を残せるのか。いつも考えています。何を託し、何を残し、何をゆだねるのか。

この地に来る理由

 今、日本全国で少子高齢化、人口減少の危機に直面しています。これからどんな準備をして、どんな方向に進んだらよいのか。私に限らず、いろんな経験を積んだ同郷の人の話も聞いて、みんなで地元の未来について議論していかねばなりません。議論のためには勉強も必要です。そういうことを考えると、最後の隠居地として久万高原に来るのではなく、久万高原を拠点にもっと活性化し、久万高原から未来に戦えるエネルギーをもらえるような環境づくりをしなければならないと思います。考えてみてください。楽して住みたいなら、他にいい場所はいくらでもあります。何も久万高原町に来る必要はない。では、ここへ来る理由は何なのか。ここに住み着いて、ずっと暮らす魅力について、みんなと議論をして、刺激を受け合って、失敗から学んでいかないといけない。そうした議論の先に、一致団結して、国も町も人も大きくなっていくのだと思います。町が何かしてくれるから、ここに来るのではないのです。

藤岡弘、インタビュー画像

 

 

 

 

 

愛媛県久万高原町東明神生まれ。
1965年、松竹映画にてデビュー。1971年、「仮面ライダー」で一躍ヒーローに。映画「日本沈没」「野獣死すべし」「大空のサムライ」他、テレビ「勝海舟」「特捜最前線」「藤岡弘、探検シリーズ」他、主演多数。アクションシーンにおいてはスタントを使わず自らこなすアクション俳優として映画界を牽引してきた。ハリウッド映画の主役も務め、日本人で初スクリーン・アクターズ・ギルド(全米映画俳優組合)のメンバーとなる。武道家としても知られ、世界各国で真剣による武道演武を行ってきた。また国内はもとより世界数十カ国の紛争地域、難民キャンプにて支援活動を精力的に行っている。

幼少期に受けた教えが今も

藤岡弘、氏サイン

 ここには、厳しい自然の中で、村人同士で助け合う心情の交流がありました。巡礼者もここを通るときは、村人から「よくここまで来られましたね。もう少しだから、がんばってください」と心からのもてなしを受け、弘法大師が感動したような真心の愛のある思いやりに触れてきたわけです。
 八十八カ所の中で、豊かな自然も含め、ここみたいな所はいっぱいあります。一方、ここにしかないものとは。ここには、弘法大師さまであろうとも、感動して涙を流しながら、この村が豊かになることを祈り、名前をつけて去ったその思いが残っています。それを大切にしてほしい。父や母からそのことを教わった私は、今でも弘法大師の教えを胸に、ボランティア活動をしています。小さい頃に受けた教えが、私をここまで成長させて戴き、今も私を守っている。そんな土壌がここにはありました。それがなかったら、私は故郷に魅力を感じなかったでしょう。私が、今でも故郷に行きたくなるのは、形だけじゃない、本当の真心をいまだに大事にしている故郷を愛しているからです。一生、ここで子供を育てよう。そんな気持ちになれる人が増えてほしい。そういう場であってほしい、というのが私の故郷への願いです。

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